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執筆者の写真Hiroe

本音と他者との関わり

更新日:2024年7月8日

最近は

こちらのブログでもInstagramの方でも

本音を話すことが多くて。



以前は

パブリックなものは

誰が読んでも不快な思いをしないように、とか

語弊のない表現にしないとな、とか

色んなことを考えて文章にしていたから

結局はオブラートに包みすぎて

言いたいことの本質が伝わらなかったりしたのではないかと振り返る。



あとは、できるだけポジティブなことを書こうと努めていた。


読んでいて元気が出る、とか

一歩踏み出す勇気になるように、とか。



 


でも、人間だから感情の浮き沈みはどうしたってあるし

嬉しいことがあれば、悲しいこともある。


それが人生というもので

だからこそコントラストがはっきりして彩りが美しいのに




悲しいことや腹が立ったこと、悔しいこと、寂しいこと

それを表現しないのはどうなのかなって。



それで

最近は心揺さぶられることがあったときも

正直に文字にするようにしている。





本音を伝えていくと

どうしてもエッジの効いた表現になったりもするし

もしかしたら「見たくない」と感じる方もいるかもしれない。


それで離れていく人がいるのであれば、それは仕方のないことで。




逆に、コメントをくれたり

わざわざメッセージで想いを伝えてきてくれたりする人が

増えていることも事実。




それでいいんだ。

そう思ってる。


内省


 


ありのままの

等身大のわたしを表現していく中で


そのわたしが好きな人が残り

好きじゃない人は離れていく。


それって、

わたしにとっても

周りにとってもハッピーなこと





病気になって演奏ができなくなったときにね

「わたしの唯一の表現ツールである音楽がなくなってしまった」


そう思ったの。



音楽で自分の言いたいことや、見ている世界を表現しているつもりだった。




そして

「音楽は誰も傷つけないから、だから音楽で表現がしたい」

「言葉は受け取る人によって傷つく場合もあるから、あまり表現したくない」


そんな風にも思っていた。



 


今のわたしが、当時のわたしを見て感じるのは

自分の軸や意思が曖昧で、

だから言葉で表現することに自信がなかったのではないか、

と思う。




どこかにも書いたけれども

昔は八方美人で誰にも嫌われたくなかったのだ。


「嫌われること」

それが何よりも怖いことだった。


嫌われたくない、どころか

「みんなに好かれたい」と思っていた。





今は


この人、わたしのこと嫌いなんだな。


そう感じたら

あくまでもフラットに対応する。ごく普通に。

でも好かれようとする努力はしない。


そして

「その人がわたしのこと嫌いだから、わたしもその人が嫌い」

とは、ならないです。


わたしのことを好きか嫌いかはその人の問題であって

わたしの問題ではないから。




このくらい、他人と自分とを分離できるようになって

30歳の頃とは変わったなー、と実感ができる。



 


この前、どなたかが言ってた。


「ファンは【存在】が有難い。アンチは【意見】が有難い。」



本当にその通りだ。


ファンの方が側に居てくれるから、心穏やかに活動ができるし

アンチの方が色々言ってくれるから、改善ができるのだ




自分にとって必要の無い人なんて

誰ひとりとして存在しないの。



世界に何億人といる中で

出逢っているだけで、奇跡♡




出逢ってくれて有難う!!


thank you



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